我家の子育て奮闘記 おまけ?

せっかく完結させたのに。

過去記事
下書きから


独り息子が家を出て早3年になりました。

家からはちょっと遠い大阪で暮らし始めておよそ2年。
実際に家を出たのは高校卒業と同時に、目指す大学が北海道にあったため、4月には家を出ています。
したがって私と女房の二人暮らしは、新婚当初以来18年ぶりの二人での生活となり、息子はその時から独り暮らしを始めているため、正確には家を出て5年になる。

現在息子はもうすぐ25歳になるかな。
計算が合わないのは、北海道の大学へ進学したものの、2年で中退したためでです。

自分が進む道とは違う内容の勉強となり、これに我慢が出来ず別の大学に再入学したため、この再入学期間中は家から学校へ通っていました。

じゃ~何のために家から遠い北海道の大学へ進学したか?ですよね。

理由は大きく3つ。

①、我が家に子どもを金の掛かる私立大学へ行かせられるだけの余裕がなかったから。

まぁ~やってやれなくはなかったけど、息子の努力(バイト等)も必要だったし、出来ればバイトをしないで勉学に励んでもらいたかったため。

②、息子は当時、マンモス高校(生徒数1600人以上)の生徒会長をやっており、立場上2流3流の大学へ進むわけにはいかなかったから(本人談)。

③、本人に進学すること(高学歴を得る)以外に目的が無かったためと、とにかく独り暮らしをしたかったため、ですかね。

結果、【国立】っという名目だけのために進学したみたいなもんで、それも総合大学(ユニバーサル)ではなく、単科大学(カレッジ)へ進んでしまったため、そこで自分の進む道を見つけた自分とはぜんぜん違う方向へ進まざるうを得ない状況に我慢が出来なくなったためだそうです。

私としては大学卒業後、もう一度やり直してみても良いのではないか?(とりあえず卒業すれば学歴は残るし、その後の支援も続けるつもりだった)、っと息子に言ってみるものの、息子は今後自分にほとんど意味の無い勉強をしても仕方が無いとのことで中退を決意。

愛知県へ帰って来てからは、再入学のための勉強&親に経済的な迷惑をかけたのでバイト。

そして自動車関連の大学(短期)へ入学。
一応、クルマでは世界的にも名の通ったメーカーがサポートする大学です。

卒業後、このメーカーの関連会社に入社するものの、研修期間中は良かったけど、いざ配属になり大阪赴任を命ぜられてからは自分の自由な時間もなくなり毎日が右往左往。
およそ1年くらい頑張ったのかな。

仕事の上での矛盾、自分で納得できない仕事、上からの指示は絶対で自分で覆せないもどかしさ。
そしてなんといっても、会社で与えてくれた生活の場であるマンションは、ただただ寝に帰るだけの場所でしかなく、すべての生活必需品が整っているこのマンションでは、あるものすべてが意味の無い生活に終始しなければならない状態だったそうです。

普通に借りれば10万円くらい家賃がかかりそうなマンションなんですよ。
セキュリティーもカードロック式だし、ネット環境も始めから装備されていてLANをつなぐだけでOKというマンスリーマンション。
もちろん家財道具(クローゼット等)も最初から設置されていて、生活に困らないよう冷蔵庫やらTV、もちろん料理用コンロや洗濯機も装備。
引越しを手伝いに行ったとき、これ着替え以外なんにもいらんじゃん!っと思いましたよ。

そんな恵まれた環境(生活面だけ)で仕事をしていても、本来の自分の仕事が上手く行かないのには我慢が出来なかったそうです。

結果1年で退職。

で本人、人に使われているから不満が出る、だから使う側になる、と突然独立宣言。

自動車関連とはぜんぜん畑違いの居酒屋のオーナーに。

始めは自分の給料さえ出せない状況だったそうで、時間は関係なく1日中働いているみたいなもんだそうです。
まぁ~そうだわなぁ~。

社員はちゃんと時間で帰さなければならないし、売り上げが低くても給料を下げるわけには行かないし・・・。

それでも1度も家へ泣きついてきたことがないのはたいしたもんですよ。
今でも営業中で、本当は非力ながら息子の店を宣伝をしてやりたいところなんですが、たぶん嫌がると思いますのでやめておきます。

一応、大阪は淀川区で店を構えているみたいですよ。


めったに家へ連絡をよこさない息子ですが、ちょっと前、引っ越すのでということで連絡がありました。
たぶん半年ぶりじゃないかなぁ~、息子から連絡が来たのは。

女房が出たからどんな話をしたのかわかりませんが、とりあえず元気だということは女房の話しぶりからもわかりましたし、息子も頑張っているというのもなんとなくわかった。

子どもの状況。

連絡が無い=困っていないし無事

っと私は理解していますが、やっぱり一声家に連絡があるだけでホッとしますよ。


私、あと5年で定年をする権利を迎えます(60歳以上なら定年選択可)。
延長すればその後5年間は使ってもらえますので65歳までは働けますが、正直ハンドルを握るのは60歳までにしたいと思っています。

息子が幼かった当時から私は常に1泊2日の仕事。
当然1年の半分くらい家にはいない。
そのため息子には、私で出来るだけのことはすべてやってやろうと、家にいるときだけは毎回眠い目をこすりながら息子に付き合ってきました。

じゃ~女房にはなにをしてやった?。
結婚当初、あんなに辛い思いをさせたのに。

・・・・・

これから頑張りますよ、せっかく二人っきりの生活になったんだから。
まぁ~ドライブとか買い物の付き合いとかしか出来ないかもしれないですけどね。


子どもが独り立ちして家からいなくなってそこそこ経ちますけど、あまり普段とは変わらない?生活が続いているなぁ~。

女房はすぐ怒るし、余計なものを買うと怒るから最初に報告しないといけないし。
そのくせただ近所に写真を撮りに行くだけでも、置いて行くなと文句は言うし。
仕事だろう?っというと、終わるまで待ってろ#!とか・・・。

でもねぇ~・・・

これが待っているのが長いんですよ。
洗濯物干してからとか、化粧に時間が掛かるとか・・・。
この間なんか、先にクルマで待っているからな、っと言ったのに30分以上も来ない!。
携帯で「な~にやってんのよ#!」と言うと、「帰ってきてからすぐ食べれるようにご飯を炊いておかずを作っている」だそうです。

ウゥ~~~~ン・・・。

まぁ~そんな女房ですよ。
なんたって外食するくらいなら、自分で作った方が美味しいし安いと信じて疑わない人だから。
まぁ~確かに女房の料理は美味いけどね。

そういえば息子、小さい頃から女房に料理習っていたなぁ~。
それが今の仕事に影響しているのかな?。

さて私は今後どうなるのでしょう。

老後、今でもぜんぜん考えてないなぁ~。
きっと定年になって仕事が無くなり、そこで本気で考えるのかなぁ~。
とりあえず今は、息子が元気で頑張っているだけでいいかな、ハハハ(^^ゞ。

下書きから

現在、余計なことを考えたくない状況なんですが、あまりに間が空いちゃうとちょっと寂しいので、そこでちょっと昔話?でもしようと、これを書きます。


なぜ昔話?っというと、

実はこの記事、だいぶ前に書いているんですよ、それを下書きのまま保存してあったもの。
このブログ、08年3月10日から始まって、今日この記事をupすると884回目となるんですよ。
でも実はその間、upすることなく下書きのまま保存してある記事が随分あります。

何度となく読み返してみて、「これはダメだなぁ~」とか、「ちょっとプライベートな話になっちゃったかなぁ~」とか等、結局上げなかった記事がいっぱいあります。

今回はその中の一つを持ち出しupします、したがって今書いたものではありませんのでご了承下さい。


で、今回持ち出した記事は、なんと6年越しになるシリーズ物の個人的な完結編ですかね。

それが、[我家の子育て奮闘記]part6(完結編)

これ以前から書こうとは思っていて何度か書き直したんですよ、でも結局上手く書けなくて途中でやめたり、中途半端な状態で下書き保存されていたりと・・・。

そりゃ~私は物書き(書き物を生業としている人)ではありませんし、フィクションを書いてもしょうがないしと悩んだまま終わったものです。


実は、あることがきっかけでこの記事を完成させることになりました。
まぁ~読んでくださる方がいらしたのと、シリーズ物唯一完結出来なかった記事でしたから、じゃ~ここらで完結させようというわけです。
もちろん実際にあったことを忠実に書いたつもりです。

前置きが長くなっちゃいました、過去記事はカテゴリの[シリーズ物(子育て)]で参照して下さい。
ちなみにpart1を書いた頃は、まだまだブログの書き方がわからないため適当に書いていたので、そのため記事自体がメッチャ読み難いのですが、なにせ6年前、腕のリハビリのために始めたばかりの頃でしたから、その辺はお許し下さい、しょせんブログ初心者当時の記事(PCも初心者?)ですから。

さて、続きはつまらない記事ですが、時間と興味があるならちょっとだけお付き合い下さい。

*****

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我家の子育て奮闘記 part5

こりずに続きです。
さっきpart4書いたばっかりですけどね。

また長くなりそうなので、めんどくさい人はパスして下さい。
どうせ親バカ丸出し記事ですから。

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我家の子育て奮闘記 part4

さ~て、続きと行きましょうか。

親バカ全開です・・・ハハハ(笑)。

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我家の子育て奮闘記 part3

何年越しの記事になるでしょう。

ちょっと前に書いたトラバの投稿に「今でもまだ後悔していること」を書きました。
この時、ブログを始めた頃に書いていた記事を読み直し、

「あぁ~そうだ、この続き書いてなかったなぁ~」

っと思い出したわけです。

ちなみにpart2もpart1から2年後に書いたっけ。

そういうわけで気が向いたので今回part3にチャレンジします。

過去記事より
我家の子育て奮闘記 paet1
我家の子育て奮闘記 part2

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2年前の記事

2年前の記事
http://peace113749.blog74.fc2.com/blog-entry-15.html


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私の家の子育て奮闘記 part 1

私の家は、一回目に書いた通り、女房と息子の3人暮らしです。その息子は大学進学のため北海道へと旅立ちました。3日、中部空港へ見送りに行ったのですが、なんだか旅行にでも行く気分のまま見送り、女房と2人で帰って来ました。これから4年間、遠く離れた地での生活が始まるのに私たち夫婦にはぜんぜん実感がともないません。今日も女房は『あれ忘れてるし、あ~だの、こ~だの』とまるで隣の部屋にいるかのごとく、ぶつぶつ言ってます。かく言う私も同じようなものですが、時間が進むたびに実感が沸き、さみしくなるかもしれませんね。なんせ18年間も一緒に暮らしてきたわけですからしかたないですね。

そこで、どこの家庭でも子育てに苦労されているとは思いますが、私の家では『こうでした』と言うのをちょっとだけ紹介します。本人(息子)が嫌がるといけないのであまりプライベートな部分は書き込まないようにします。(ちょっと無理か?)


生まれたのは、現在住んでる場所ではなく、同じ愛知県でも田舎の小さな町でした。この町の唯一と言って良い病院の中。女房は妊娠三ヶ月目から出産まで約、半年に渡り入院していたようなもの。切迫流産の危険性があったため、こんな長期の入院になってしまった。私の病院通いも結構長く続いたわけで、自宅から遠いわけではなかったのでそんなに苦労は無かった。女房にしてみれば大変だったとは思うけどね。ただ、この後も病院通いが続くとは思わなかった。

さて、出産。(簡単に言うな♯!)

母体と子供の安全のために医者から早目に出産させましょう、とのことで薬を使い、一ヶ月近く早い出産となった。女房の体に不安があったためです。生まれてきた子供はものすごく小さく、わずか2000g!泣き声も小さく、うれしいより不安でたまらなかった。もちろん未熟児で、この病院では対応出来ないため、出産前から救急車を待機させ、50km以上離れた豊橋の市民病院へ搬送する準備をしていた。『ちらっ』と顔を見ただけで移動用の保育器に入れられ救急車へ直行!この移動用保育器も初めて見たが、まるで移動用の犬小屋みたい。(犬じゃありません)私は女房に『ちょっと行って来る、心配しないで休んでろ』とは言ったものの、女房は心配でしょうがなかったと思う。自分の車で救急車を追いかける事となり、信号も何もあったもんじゃあ~りません!普段なら1時間はかかるところを40分位で到着、さほどスピードは出ていないのだが、止まらないだけに速い!(普段なら絶対に出来ません)すぐさま、未熟児センターに運ばれ対応される。検査の結果、医者から『小さいだけで大丈夫だよ』との事。ほっと一安心で田舎の女房が入院している病院へ帰る。女房は出産後一週間位で退院したが、子供は一ヶ月も保育器の中と、この遠い道のりを何度往復したことやら、子育てスタートから大変です。(私はもう疲れました)

その後、やっと退院となり無事、我家の一員となりました。あとは続きでね!

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中森 ユウジ

Author:中森 ユウジ
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